肉体克服
乃木大将の肉体は、ほとんど不具に近いほど、故障だらけでした。
左足が、西南戦役の、負傷によって、障害不自由でした。左の眼は、瞳孔内の角膜白班のため視力がほとんどなく、わずかに明暗を識別できる程度でした。残る右目は、強度の遠視でした。が、その不自由なのを、静子夫人さえ数十年の間気が付かなかった。
大将がそれを言わず、不自由なのを黙って克服していたからです。その上持病のぢが治らず、ひどい脱肛で烈しく出血します。乗馬してくらを赤く締めながら、そのまま走らせました。リューマチス持病でした。冬になると肩と付関節が自由を失うのです。腕と足の銃創もうずきました。歯は日露戦争以前から総入れ歯でした。旅順要塞総攻撃前に。海軍陸戦重胞隊を初めて訪問した時、厠(かわや)から出てくると、ひどく顔色がわるいのです。河西副官が見て取って、
「どうなさいましたか」
「いや血が少し…」
大将は何気なく言われたが、愕然とした副官、重ねて尋ねます。
「ぢのほうの出血をなさったのですか」
「いや、血便だ」
「それはいけません、すぐ帰りましょう」
「何、なんでもない、出かけよう」
乗馬すると高地、低地ことごとく視察しました。
司令部へ帰ってきましたが、そのまま黙っている乃木軍司令官を軍医が観察してみると、赤痢でした。
「閣下、ご静養を願います」
「そうかな、まあいいよ。」
『そうかな、まあいいよ』と気力で押し切って静養もせず、十日ほどすると治って、総攻撃開始の日には。前線へ出て自ら指揮したといいます。
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